オペラと歌舞伎 ―洋を隔てた双子の兄弟―
1万キロ近く離れたイタリアと日本でオペラと歌舞伎がほぼ同時期に発祥した。全く偶然ではあるが今から約400年前のことである。
共時的に発生したこの二つの芸術、〈イタリアのオペラ〉と〈日本の歌舞伎〉には、いくつかの興味深い類似点が見られる。そして面白いことに、いずれも発生の記述があり、その誕生の経緯がはっきりしているのだ。
まずオペラは、1597年にペーリによって《ダフネ》が作曲・上演されたという記録が残っているが、この楽譜は残念ながら現存していない。その後、1600年10月6日にフィレンツェのピッティ宮殿においてフランス国王アンリⅣ世とメディチ家の娘マリアの結婚式の祝典のために書かれたペーリ作曲《エウリディーチェ》が上演されたという記録か残っている。これをもってオペラの誕生と見るのである。
では歌舞伎はどうであろう。後陽成天皇の母、新上東門院の女院御所にて、お国の「ややこ踊り(子供の踊り)」を見る催しが行われたという記録があり、これが1603年5月のことである。しかしその3年前、1600年7月に女御近衛の主催で、菊と国の「ややこ踊り」を見る会が催されているので、これをもって歌舞伎の誕生とするなら、何とオペラと同じ年のことになるのだ。その後、「ややこ踊り」は歌舞伎踊り(傾き者が遊女と戯れる踊り)へと変化していくが、風俗上の理由により女歌舞伎に禁令が出され、その結果、女形が女性を演ずる若衆歌舞伎として、現在の歌舞伎の原型が出来上ったわけである。
キリスト教の世界では、女性は原罪を持っているため聖歌隊に所属することができないことからカストラートが誕生したが、奇しくも男性によって演じられる音楽劇というものが洋の東西で発展していくことになったのである。
さらに、双方の登場人物や扱われている内容にも類似点がある。歌舞伎で荒事と言われる《勧進帳》《景清》《鳴神》などは歴史上の人物を主人公にしたいわゆるオペラ・セリア的なものである。これらは武家社会である江戸で好まれていた。オペラでいえば《ジュリアス・シーザー》《ナブッコ》《オテロ》などであろうか。
関西では世話物(荒事に対して和事と呼ばれる)と言われる《曽根崎心中》《夕霧名残の正月》《廓文章》など、恋愛や心中などをテーマにしたものが好まれた。オペラでは《椿姫》《マノン・レスコー》《カルメン》などがそれに当たる。
そしてどちらにも狂乱をテーマにした作品がいくつもあるのも面白い。狂乱の場というのは名優の芸の見せ場なのだ。オペラでは《ルチア》《夢遊病の女》《ボリス》など。歌舞伎では《保名》《お夏狂乱》、《安珍と清姫》なども狂気の果てと考えられる。
一つの例として、歌舞伎の《冥途の飛脚》をオペラ《椿姫》《マノン》と比較してみよう。
オペラファンの中には歌舞伎に関心がない方々もいらっしゃるに違いないので、簡単に《冥途の飛脚》について述べておく。
《冥途の飛脚》(通称《梅川忠兵衛》)は、近松門左衛門の人形浄瑠璃で1711年に大阪で初演された。これを基に作られた《恋飛脚大和往来》は歌舞伎の和事の代表作の一つである。
あらすじ
大阪の飛脚宿・亀屋の跡継ぎ養子忠兵衛は越後屋の女郎梅川と惚れ合った仲であった。忠兵衛は彼女のために店の金を使い込み、二人は忠兵衛の生まれ故郷大和の国へ逃げるが、そこにはすでに手が廻っていた。逃れるすべのないことを知った二人は入水自殺を図る。
オペラとの類似点は、アルフレッドやデ・グリューはある程度、社会的に保障された身分の男性であり、ヴィオレッタは娼婦(オーベールの《マノン》ではマノンはお針子になっている)。二人は恋し合っているが、金銭的にも行き詰まり恋は成就しない。罪を犯し、片やアメリカへ、片や故郷の村へ逃れるが、そこに待っているのは死であった。
アルフレッドの父ジェルモンとヴィオレッタが最終的には心を通わす場面「どうぞ私を娘として抱きしめてください」、忠兵衛の父の切れた鼻緒を梅川が挿げ替え、二人して涙にくれる場面、どちらも父親とヒロインの大きな見せ場である。
荒野でマノンが〈見捨てられて、ただ一人〉を歌い、息絶えた後、デ・グリューは泣き崩れるが、彼も所詮生きのびられる道理はない。二人の逃避行は、死への道行きである。この場面は、ネトレプコが「素敵なドレスをたくさん着ていたのに、カーテン・コールは一番みじめな衣装で出なければいけないの…。」と嘆くように、決して美しい場面ではない。
しかし、歌舞伎の場合、道行きは最大の見せ場の一つである。雪が舞い散る河原で、二人は別れを惜しみ舞い続ける。梅川と忠兵衛は帯で二人の身体を結び、死への旅路へ発ってゆくのである。ここには日本人の持つ美学がある。残念ながらこの道行きの動画は見つからなかった。
歌舞伎とオペラには大きな違いがある。オペラ歌手は歌えればよい。つまりオペラはアリアが見せ場なのである。歌舞伎役者は、台詞は言うが、歌は囃子方の仕事である。その代わり歌舞伎役者は舞の名手でなければならないのだ。クライマックスにオペラではアリアや重唱が置かれる。歌舞伎では、舞や道行であり、見得や八方 (型)が取り入れられる。
しかし二つの芸術の一番大きな違いは、歌舞伎は家系によって芸が世襲されてきたことであろう。そのため型が守られているのだ。よって新作は別にして、伝統的な歌舞伎の演目が読み替えによってとんでもない様相を呈するということはあり得ない。
参考資料: 『オペラと歌舞伎』 永竹由幸 著 丸善 1993

にほんブログ村

スポンサーサイト
category - オペラ