今まさに円熟期の二人 ―シャーデとレシュマン―
このところ立て続けにミヒャエル・シャーデ(Michael Schade)とドロテア・レシュマン(Dorothea Röschmann)を聴いた。モーツァルトの《ティートの慈悲》(2003)、ハイドンの『四季』(2013)、シューベルトの《フィエラブラス》(2014)である。《フィエラブラス》はメッツマッハー指揮だが、あとの2つはアーノンクールの指揮によるものだ。晩年のアーノンクールは古典派の作曲家、つまり、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに強い関心を持っていたようで、舞台上演も録音も精力的にこなしていた。
シャーデは1991年に『ヨハネ受難曲』のエヴァンゲリストで、リリングと共演している。アーノンクールとも、バッハ、モーツァルト、ハイドンなどでの共演が多い。シャーデを初めて聴いたのは1996年ムーティ指揮ウィーン国立歌劇場《コジ・ファン・トゥッテ》で、初々しいと言ったら無理があるかもしれないが若々しいフェランドであった。同劇場では2000年に《魔笛》のタミーノも歌っている。おそらくモーツァルトのテノール・ロールはすべて歌っているだろう。
すでに《マイスタージンガー》のヴァルター、R.シュトラウスなども歌っているが、最近は《フィデリオ》のフロレスタン(カウフマンも歌う、かなり重いロール)、《こうもり》のアイゼンシュタイン(このロールは一般的にバリトンが歌うが、テノール・バージョンもある)など、レパートリーが拡がってきている。しかし、基本的にバッハのエヴァンゲリストやモーツァルトのロールを大切なレパートリーと考えている歌手である。
1900年頃からリートやコンサートで歌っていたレシュマンは、1995年ザルツブルク音楽祭、アーノンクール指揮《フィガロの結婚》のスザンナで一躍注目を集めた。その後スザンナはバレンボイムの指揮でも歌っている。モーツァルトのほとんどのリリック・ソプラノを歌いこなすが、2006年ザルツブルク音楽祭ではスザンナをネトレプコに譲って(?)伯爵夫人を歌った。因みにこの指揮もアーノンクールである。近年は《ばらの騎士》の元帥夫人、《オテロ》のデズデーモナもレパートリーにしている。2015年にはウィグモア・ホールでロベルト・シューマンの『リーダークライス』『女の愛と生涯』、アルバン・ベルクによる7つの初期の歌を内田光子と共演し、大きな評判を呼んだ。
この二人は国際的に非常に高く評価されているにも関わらず、日本での知名度、人気はそれほどでもない。その理由の一つは、彼らがいわゆるオペラ歌手としてだけでなく、コンサート活動、歌曲のリサイタルにも力を注いでいるためだろう。
2013年ザルツブルク音楽祭でのアーノンクール指揮『四季』でも、透明感のある柔らかく美しい声を保ち続けているのを聴いて、彼らのレパートリーの中心に常にモーツァルトがあるということの意味を実感した。
シャーデとレシュマンの共演は、聴いていて絶対的な安心感に裏付けられた心地よさがある。シャーデ、レシュマン共に目指している音楽の方向性が一致していると感じるのだ。
9月のオペラ講座で取り上げるために、《皇帝ティートの慈悲》を何回か繰り返し聴いた。シャーデ、レシュマン、カサロヴァは30代、ガランチャ、ピサローニが20代である。まさに輝かしい声の饗宴だ。それにもまして驚異的なのは、アーノンクールの70代とは思えないようなエネルギッシュなタクト。演技力もある歌手たちによるこの舞台は、名演として歴史に残るだろう。
アーノンクール、シャーデ、レシュマンの共演はもう叶わなくなってしまったのが残念でならない。
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category - オペラ