スラブ系歌手の歌う、スペインを舞台にしたフランス・オペラ MET《カルメン》
バレンボイムの抜擢により2009年スカラ座でカルメンを歌ったラチヴェリシヴィリ(30歳)と、ムーティに抜擢されて2008年ザルツブルグ音楽祭でオテロを歌ったアントネンコ(36歳)という共にセンセーショナルな成功を収めた歌手によるMETの《カルメン》。ラチヴェリシヴィリ、アントネンコ、そしてエスカミーリョを歌ったアブドラザコフ(38歳)と3人がスラブ系の歌手、ミカエラを歌ったハーティッグ(31歳)はルーマニア出身。METはロシアに占領(?)されたのではないかというようなキャストである。彼らがフランス人のビゼーが作曲した《カルメン》をアメリカで歌うのだから国際色豊かなどというレベルをはるかに超えている。因に指揮はスペイン人のエラス=カサド(37歳)でこの人もバレンボイムの息がかかっている。演出はイギリス人のリチャード・エア(71歳)だが、彼にとっては子供たちと仕事をしているような感じなのではないだろうか。国籍の話はこのくらいにして、本題に入ろう。
まずは演出について。
MET 2009年公演、エア演出のプレミエでガランチャ、アラーニャ、フリットリら出演の舞台と同じものである。前奏曲で1幕はカルメンと思われる女性ダンサーと男性ダンサーとのデュエット、3幕はミカエラと思われる女性ダンサーと男性ダンサーとのデュエットがあったり、フラメンコ独特のサパテアード(床を踏み鳴らすリズム)とパルマ(手拍子)のみの場面があったりと踊りの面でも楽しませてくれる。しかしカルメンがパリ―ジョの代わりにヒールのかかとを打ち鳴らすというのはいただけない(ガランチャは鍋のような物を叩いていたが)。
カルメンは気性が激しく粗暴な女という演出家の意図なのだろうが、なぜか暴力的な行為が多く、しかもそれが2009年のときよりますますエスカレートしていて、この点に関しては好感を持てなかった。ラチヴェリシヴィリは惜しげもなく脚線美(?)を披露してくれるが、ちょっと行き過ぎではないだろうか。
フィナーレでホセの首にかけられた大きな十字架は救済を意味しているのだろうが、必要だろうか?
回り舞台を効果的に使用したセットは秀逸であるが、最後にカルメンの死体と牛の死体を並べて見せるというのは悪趣味に思える(メリメの原作ではエスカミーリョが牛の下敷きになり再起不能になるのだが)。
歌手について。
ラチヴェリシヴィリの声は素晴らしく、低音域も豊かに響いていた。若干ヴィブラートが気になったところもあったが、歌も演技も大胆かつ奔放でこれからも成長を楽しみに見続けたい歌手である。将来はエボリ公女《ドン・カルロ》やオルトルート《ローエングリン》にも挑戦してほしいと思っている。
アントネンコは若くしてオテロや《西部の娘》のジョンソンを歌っているが、カヴァラドッシや《ルサルカ》の王子などリリックのレパートリーもこなす。ホセ・クーラのような歌手になっていくのだろうか。豊かな張りのある声でありながら、抒情性も表現できる歌手なので大成を期待したい。ゲルマン《スペードの女王》やヴェリズモのオペラを歌ってほしい。
「18時間に2回死んだ若きディーヴァ」の記事に書いたが、ハーティッグは2004年ミミ《ラ・ボエーム》のライブビューイング収録当日、流感で急遽休演したことがある。美しいリリック・ソプラノで清純な女性のイメージにぴったりである。表現力もあり、大いに将来が期待される。のびやかな声だが高音が少し硬いように思うところもあったが、まだまだこれからの人だ。
アブドラザコフは声の立派さではピカイチである。朗々と響くバスにはうっとりさせられる。イーゴリ公のときよりもずっと楽しんで歌っていたように見える。ゆくゆくは、フィリッポⅡ世《ドン・カルロ》や《ボリス・ゴドノフ》などを歌うようになるのだろう。
2009年の公演と比較してみると、キャストが若いだけに演技の練り上げ方にはかなり差を感じる。カルメンの最後、ラチヴェリシヴィリは刺されるのを待っているように見えるが、ガランチャは刺された瞬間、覚悟はしていてもそこに一瞬の驚きの表現がある。アラーニャのホセも刺した後、投げ捨てられた指輪を息絶えたカルメンの指に、もう一度はめてやるなど細かい仕草に、長年ホセを歌ってきたキャリアが感じられる。
ラチヴェリシヴィリはショールを腰に巻くのに手間取ったり、アントネンコはポケットからナイフを出すのにポケットの位置がわからなかったりと見ていてもどかしくなるような場面がいくつかあった。
ダンカイロを歌っていたバリトンが2幕の初めの五重唱にある細かいパッセージできれいなアジリタを聴かせてくれた。ここの部分でこれほど1音1音が明瞭に歌われたのを聴いたのは初めてであったのだが残念ながら字幕で名前を確認できなかった。
兵士の行進の場面での合唱の子供たちの中に、一人右手、右足を同時に挙げている子がいたのだが、これは演出なのだろうか、それとも本人のアイディアなのだろうか。後者だとすればなかなかの演技力である。
今回の公演は空席もかなりあったし、カーテン・コールでも圧倒的に2009年の公演の方がスタンディング・オベーションが多かった。
今回の歌手たちも10年後、20年後にはMETを背負って立つ歌手になっているに違いない。

にほんブログ村

スポンサーサイト
category - オペラ