オペラにおける人種差別
1955年、METで画期的な出来事がありました。黒人歌手がデビューしたのです。その人は当時57歳のマリアン・アンダーソン、役は『仮面舞踏会』のウルリカでした。メトロポリタン歌劇場と史上初めてソリストとして契約を結んだ黒人歌手でもあります。偉大な歌手であるマリアン・アンダーソン(1897-1993)は人種差別により音楽大学には入学できませんでした。しかし、「100年に一度しか聴けない美声」とトスカニーニに言わしめたその素晴らしい声と歌唱力はヨーロッパで高く評価され、1939年ニューヨーク、リンカーンセンターに7万5000 人もの客を集め、歴史に残る事件として人々に記憶されているコンサートに結びついたのでした。それでもアメリカでの黒人差別は根深く、メトロポリタン歌劇場でのオペラ・デビューにはそれから15年以上を要しました。その後、レオンタイン・プライス(1927-)、シャーリー・ヴァーレット(1931-2010)、グレース・バンブリー(1934-)と続きます。彼女たちはどの役でも歌えたわけではなく、カルメン、アイーダ、アムネリス等を中心に活躍していました。やはり人種差別は厳然としてあったのです。
1970年頃のことだったと記憶していますが、ジェシー・ノーマン(1945-)がベルリン・ドイツ・オペラで『フィガロの結婚』の伯爵婦人を歌ったのをFM放送で聴いて、当時、黒人がモーツァルトを歌うということが私には大きな驚きでした。この時初めてノーマンの声を聴いて、なんとすごい声の人が出てきたのだろうと興奮して声楽の先生に電話したのを覚えています。
近年になって、レリ・グリスト(1932-)、バーバラ・ヘンドリックス(1948-)、キャスリーン・バトル(1948-)、デニス・グレイヴス(1962-)、ラトニア・ムーア(1980-)等が人種的差別を受けずに活躍できるようになってきているように思います。でも『バラの騎士』の元帥夫人を黒人が歌っているのは、まだ見たことがないように思います。
さてここまでは女性のことばかり述べてきましたが、男性はどうだったのでしょう。
1939年、ポール・ロブソンという黒人歌手(1899-1976)が歌った「アメリカ人へのバラード」いう曲がニューヨークのCBSラジオから全米に流れました。その曲はこのような歌詞で人種差別に対する抗議の歌でした。
「 白人も決して自由にはなれない
兄弟の黒人が奴隷でいる限りは……」
サイモン・エステス(1938-)、は黒人男性のオペラ歌手として草分け的存在です。1976年以降、チューリッヒ歌劇場、MET、バイロイト、ベルリン・ドイツ・オペラなどに出演し、ワーグナー、ヴェルディ、R・シュトラウス、ガーシュインの主役を歌っています。しかし、ウィーンやニューヨークで歌っているヴォータンを、ついにバイロイトで歌うことはありませんでした。
ジャマイカ生まれのウィラード・ホワイト(1946-) はサーの称号を与えられています。ローレンス・ブラウンリー(1972-)は、『チェネレントラ』の王子をはじめロッシーニ歌いとして欠かせない存在です。ニール・E・ボイド(1975-)もこれからの活躍が期待されるテノールです。
このように見てくると、黒人歌手が差別を受けずに活躍できるようになったのは、20世紀後半に生まれた歌手からのようです。スポーツの世界では黒人の活躍が目立ち、オリンピックの陸上競技などでは黒人がメダルを独占せんばかりです。このことは黒人歌手の活躍の場を広げるのに、何らかのかたちで役立っていると思います。オバマ氏が大統領に選出されたこともこれからの彼等の活躍にプラスになることでしょう。
例えば、『セヴィリアの理髪師』の伯爵がダブルキャストでセルソ・アルベロとローレンス・ブラウンリーだったら、どちらのチケットを買うだろうかと自分に問いかけてみました。多分アルベロを買うだろうと思います。ブラウンリーの方が上手いと分かっていても、オペラの楽しみの一つとしての視覚的満足感を無視することはできないからです。もしブラウンリーがもっと背が高かったら、とても迷うでしょう。そして他のキャストを検討すると思います。
私の中に人種差別意識(黒人だけでなく)はないかと言われると、正直なところ全くないと答える自信はありません。黒人だけでなく日本人も、多くのアジア人歌手も少なからず差別を受けているでしょう。でもトゥーランドットをヨーロッパ人が歌っても違和感がないのに、蝶々さんだと違和感を覚えてしまうのはなぜでしょう。

にほんブログ村

スポンサーサイト
category - オペラ