同声アンサンブルの魅力 ―シュトラウス Vs. ヴェルディ―
R.シュトラウスの《ばらの騎士》は、上演時間が3時間以上という長大なオペラであるが、およそ2分の1はソプラノとメゾ・ソプラノのみで歌われる。第1幕の前半および第3幕の後半は全く男性の声が登場しない(3幕でファーニナルがわずかに顔を出すが)。第1幕では、元帥夫人とオクタヴィアンの官能的な愛が、豊潤なオーケストラの響きに支えられた二重唱で表現されている。それに引き換え、最後の場面は、あたかも光沢のある絹糸で編みあげられたレースのように優美で繊細である。そして3人の声の微妙な絡み合いは、得も言われぬ陶酔感に浸る至福の時を味わわせてくれる。あらゆるオペラの中で、これほど深い美しさを湛えた静謐な場面がほかにあるだろうか。オクタヴィアンとゾフィーの初々しい愛と、女性の黄昏を感じている元帥夫人の諦観が織りなす世界はアンサンブルの極致であり、シュトラウスの音楽の一つの頂点を築き上げている。この場面における元帥夫人の音楽は、決してゾフィーに見劣りするものであってはならない、という台本作者であるホフマンスタールからの要求に、シュトラウスは見事に応えている。
このオペラに登場するテノールは、朝の身支度をしている元帥夫人の前で歌う歌手と、イタリア人の何でも屋ヴァルツァッキ、ほか4人だがいずれも主要な役ではない。シュトラウスがオクタヴィアンをテノールにしなかったのは絶妙な選択である。
シュトラウスのオペラはモーツァルトを意識して作られたものがいくつかある。オクタヴィアンは明らかに《フィガロの結婚》のケルビーノを意識しているが、ケルビーノよりはるかに充実した役になっている。
シュトラウスのオペラには、なぜか魅力的な男性がいない。《アラベラ》のマンドリカにしても、《サロメ》のヨハナーンにしても、シュトラウスが惚れ込んで書いているとは思えない。どうやらシュトラウスの興味は女性(女声)に向けられていたようである。因みにタイトルを見ても《サロメ》《エレクトラ》《ばらの騎士》《ナクソス島のアリアドネ》《影のない女》《エジプトのヘレナ》《アラベラ》《無口な女》《ダフネ》《ダナエの愛》と圧倒的に女性が多い。《カプリッチョ》も主人公は女性である。これらのオペラのいくつかにも女声による魅力的なアンサンブルが散見される。
以前、「プッチーニオペラの登場人物」という記事でも触れたが、プッチーニのオペラも女性を主人公にしているものが多い。《妖精ヴィッリ》《マノン・レスコー》《トスカ》《蝶々夫人》《西部の娘》《修道女アンジェリカ》《トゥーランドット》と12作品中7作ある。すべて主体性を以て自らの人生を生き、または死んでいった女性の生き様が描かれている。しかし、女声によるアンサンブルはあまりない。
女性に関心が深かったシュトラウスやプッチーニに対して、男性を描くことに強い執着を持っていたのがヴェルディである。
ワーグナーの楽劇の主人公も男性が多い。《リエンツィ》《さまよえるオランダ人》《タンホイザー》《ローエングリン》《ジークフリート》《マイスタージンガー》《パルジファル》はタイトルが男性であるし、《指輪》も終始一貫して登場するのはヴォータンである。
女性の登場人物はあまり多くない。しかしワーグナーの描く女性は、ゼンタ、エリーザベト、ブリュンヒルデ、クンドリーなど、いずれも自己犠牲によって男性を救済するという運命を担わされている。オペラの中心的存在は男性で、女性は添え物という感じがしないでもない。
ヴェルディの描く男性は何と言っても魅力的な人物が多い。28作中女性がタイトルになっているものは《ジョヴァンナ・ダルコ》《アルツィーラ》《ルイザ・ミラー》《椿姫》《アイーダ》と5作品にすぎない。それに比べて男性は多彩で、情愛、苦悩、怒りなど実に生き生きと描かれている。そして何よりも男声のアンサンブルや男同士のやり取りの場面の迫力は筆舌に尽くし難いほど素晴らしい。
一般的にオペラにおける一番の聴きどころはテノールとソプラノの2重唱であることが多いが、ヴェルディの場合は男声の重唱に聴き応えがある。代表的なものとしては、《ドン・カルロ》のカルロとロドリーゴ、フィリッポⅡ世とロドリーゴ、フィリッポⅡ世と審問官、《エルナーニ》のエルナーニとシルヴァ、シルヴァと国王、《シモン・ボッカネグラ》のシモンとフィエスコ、シモンとパオロ、シモンとガブリエレ、《オテロ》のオテロとイヤーゴなど枚挙にいとまがない。
バリトンやバスのいぶし銀のような朗々とした声の響きは、心の奥底に深くしみ込んでくる。男声の苦悩や激情の表現では、ヴェルディの右に出るものはいないだろう。
シュトラウスのエレクトラ、元帥夫人、アラベラ、アリアドネ、ツエルビネッタなどは、ドイツ系のオペラを歌うソプラノにとっては難曲であり、挑戦してみたい役であろう。
ヴェルディのバリトンやバスの役、ナブッコ、マクベス、リゴレット、シモン、フィリッポⅡ世、イヤーゴなども、低声の歌手にとっては是非歌いたいという抗し難い魅力を感じる役であろう。
現に高音域に限界を感じたドミンゴは、「自分はもともとバリトンとしてスタートしたのだから」と次々にバリトン役に手を伸ばしている。しかし声の重厚さに欠け、特に重唱になるとそれが目立つように思うのだが…。

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category - オペラ